不登校だった僕らから(ブログ)

資料_史朗
山崎史朗 [Vo&Gt]

小学校時代、僕のクラスにはいじめがありました。一人の女の子に対して、クラスの全員が無視をしたり、聞こえるように悪口を言ったり、その子を傷つけては面白がっていました。そこには当たり前のように暴力がありました。そんなことはしてはいけない。それを分かっていながらも、僕には止める勇気がありませんでした。いじめに参加をしなければ、自分も標的になってしまうかもしれない‥。怖くて怖くて僕はその状況に耐えられず、学校に行けなくなりました。学校を休むことで楽になれると思っていたのは間違いでした。身体は元気なのに、家にいる自分はダメな子なのだ‥と、罪悪感に押しつぶされそうになりました。学校に行ってほしいと願う親に心のうちを話せず、部屋にひきこもるようになりました。そして、家族に笑顔がなくなっていきました。全て、自分のせいだ‥自分なんて生きていたらあかん‥。自分を責め続ける僕を、親は見守り、愛し続けてくれました。そして、母親が通っていた不登校親の会を通じて、八田君や不登校の仲間に出逢い、少しずつ元気になることができました。
僕たちは、誰しも完璧な人間ではありません。物事がうまくいかず、どうしようもなくしんどくなってしまう日がくるかもしれません。苦しみから、命を絶ってしまおうと思う日がくるかもしれません。それは、決してテレビの中の世界ではなく、あなたの大切な人や、あなた自身にも起こりうることです。どうか、立ち止まる人を、そして自分自身を、否定しないでください。立ち止まる時間は、自分自身の心と向き合う大切な時間です。信じて待っていてあげてください。
今日まで生きてきたあなたに拍手を送りたい。講演ライブでは、そんな想いを込めて歌っています。

【不登校だった僕らから〜山崎史朗のブログ〜】
不登校の時、生きる理由はラジオだった。
史朗の人生〜経験はかけがえのないもの〜【幼少期】
史朗の人生〜経験はかけがえのないもの〜【小学期(入学)】
僕が今思うこと〜心の【居場所】について〜
僕がいつも心に置いている言葉
不登校だったからこそ
ここが僕らの0地点


資料_典之
八田典之 [Ba&Cho]

僕は小学6年生から不登校になりました。ある時期から、学校に行く時間になるとお腹が痛くなるようになりました。そういった体の症状がきっかけで、少しずつ休むようになりました。病院で、自律神経失調症と診断を受け、ストレスが原因だと分かりました。ストレスの原因はハッキリとは分かりませんが、きっとどこにでもあるような悩みからでした。クラスの雰囲気が悪かったこと、友達関係がうまくいっていなかったこと。また、それらを誰にも心配をかけたくなくて一人で溜め込んでいたこと。今思うとそれらが大きな原因だったと思います。親に心配をかけたくなかったのに、自分のせいで悩ませ、悲しませていることがすごく苦しかったです。最初は全く理解してもらえず、何度も親とぶつかりました。家にも居場所がなく、心休まることはありませんでした。
時が経ち、親が不登校を受け入れてくれ、僕のペースに合わせ見守ってくれたことで少しずつ元気になりました。さらに僕が元気になった大きな理由は、JERRYBEANSメンバーの山崎兄弟に出逢えたことです。出逢った次の日から、外に出ることが怖くなくなりました。
僕たちの経験や想いを伝えることで、今悩む誰かの心が少しでも楽になってくれたら嬉しいです。そしてあの頃、僕たちが沢山の元気をもらった”音楽”を通して、皆で楽しい時間を過ごしましょう。笑顔の輪が広がりますように。

【不登校だった僕らから〜八田典之のブログ〜】
いじめから、わが子を守る具体策
きっかけという貴重な選択肢
元気になっても
ビワイチ
真野北ふるさと夏祭り
不登校だったとき嬉しかったこと
好きなことを夢中に
心配をするときに知っておいてほしいこと
子どもにとって「話しやすい大人」でありたい
不登校だっていいじゃないか!
メンバーとの出逢い


資料_雄介
山崎雄介 [Dr&Cho]

僕は小学5年生から中学3年生まで不登校を経験しました。小さい頃から、自分の気持ちを表現することが苦手な子どもでした。小学3年生から、朝登校する前にお腹や身体のあちこちが痛くなるようになりました。それから2年間は、遅刻をしながら登校を続けました。小学5年生になったある日、居残り授業で先生から「字が汚い」と言われ、次の日から不登校になりひきこもるようになりました。しばらくして、いじめを苦に自殺をした少年のニュースをテレビで観て、”自殺”に興味を持つようになりました。それを、愛される方法の一つだと思うようになりました。「今日は終わりの日だ」ある朝、そう思った日がありました。全く怖さはなく、清々しい気持ちでした。母親が飲んでいた睡眠薬をこっそり部屋に持って行き、自殺をしようとしました。僕が睡眠薬を飲もうとしたそのとき、ものすごい音がしました。大きな音が僕の部屋に近づき扉が開きました。それは、母親でした。いつもと違う僕の様子を母親は感づいていました。
「学校に行かへんて死ななあかんほど悪いことなんか?あんたが元気に生きていてくれたら、それだけで十分なんや。あんたが何をしたって、誰がどう思ったって、お母さんはあんたの味方やねんで」
母親は、そう言って泣きながらずっと僕を抱きしめてくれました。
とても救われる想いでした。そのときの気持ちを、今沢山の方に伝えています。あのときの僕のように、苦しい想いをしている人、自ら死のうとする人が、一人でも少なくなることを願って。これからもこの活動を届けていきます。

【不登校だった僕らから〜山崎雄介のブログ〜】
自信について。
僕にとっての「自分に出会う」方法
弱い僕なりの生きる術
僕を救ってくれたもの
出会いとは不思議なものだ
夏休みの終わり
怖さを知った時
空も飛べるはず
変人
あの時海はただ黙って僕らを向かえてくれた
キキ また遊ぼうな


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